心とからだのセラピースペース


by まりりん

『幸せになる勇気』その2

アドラーは、どこまでも実践的な人。
「原因」を考えるのではなく、
「いかにすれば戦争を食い止められるか」を考えた。

人間は戦争を、殺人や暴力を希求する存在なのか?
そんなはずはない。

人間が誰しも持っているはずの、
他者を仲間だとみなす意識、つまり共同体感覚を育てていけば、
争いを防ぐことはできる。

そして我々には、それを成し遂げるだけの力があるのだ。
アドラーは、人間を信じた。


空虚な理想を追い求める姿が、非科学的だと批判を受けた。
そして多くの仲間を失った。

しかし、アドラーは非科学的だったのではなく、建設的だった。
そして、「だれもやらないなら、私から始めるしかない。」


アドラーの主張は、今の日本の現実から見ても、
かなりかけ離れています。
とても無理!と思う人も多いでしょう。



教育の目標は自立。
そのためには
自分の人生は、日々の行いは、すべて自分で決定するものなのだと教える。
そして決めるにあたって必要な材料-例えば知識や経験ーがあれば、それを提供していく。
それが教育者のあるべき姿。

他者からの承認を求めるのでなく、自らの意志で、自らを承認する。
「私」の価値を、自らが決定すること。
これを「自立」と呼ぶ。


叱ることは、言葉でコミュニケーションすることを煩わしく感じ、
手っ取り早く屈服させようとすること。
暴力的な「力」の行使によって
相手を押さえつけようとしている事実には、何ら変わりがない。
むしろ「私は善いことをしているのだ」との意識がある分、
悪質だとさえ言える。


子供たちの問題行動を前にしたとき、親や教育者は何をすべきなのか?
アドラーは「裁判官の立場を放棄せよ」と語っている。

彼が「悪」だったから問題行動に走ったのではなく、
学級全体に蔓延する競争原理に問題があった。

個人を治療しようとするのではなく、共同体そのものを治療していく。
賞罰をやめ、競争の芽をひとつずつ摘んでいく。
学級から競争原理をなくしていく。


小さな口論から国家間の戦争まで、あらゆる争いは、
「私の正義」のぶつかり合いによって発生する。
でも、唯一の正義、唯一の答えなど、どこにも存在しない。
手をつなぎたいのならば、自分から手を差し出すしかない。
あなたが私を信じようと信じまいと、私はあなたを信じる。
信じ続ける。


「幸福とは、貢献感」
我々は皆、「私は誰かの役に立っている」と思えた時にだけ
自らの価値を実感することができる。
「私の幸せ」を突き詰めていくと、結果として誰かの幸せにつながっていく。

一方、交友の関係を成立させるのは「あなたの幸せ」。
ひたすら信じ、ひたすら与える利他的な態度によって、交友の関係は生まれる。

愛の関係は、不可分なる「私たちの幸せ」を築き上げること。

本当の愛を知った時、人生の主語が変わる。
「私」だった人生の主語は、「私たち」に変わります。
幸福なる生を手に入れるために、「私」は消えてなくなるべきなのです。



マザー・テレサは
「世界平和のために、我々は何をすべきですか?」と問われ、
「家に帰って、家族を大切にしてあげてください」と答えたそうです。

まずは目の前の人に、信頼を寄せる。
目の前の人と、仲間になる。
そうした日々の、小さな信頼の積み重ねが、
いつか国家間の争いさえもなくしていくのです。

そこからはじめるしかない。
まずは自分自身が争いから解放されなければならない。
全体の一部である自分が、最初の一歩を踏み出す。

なんでもない日々が試練であり、
「今、ここ」の日常に、大きな決断を求められている。
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by d_rainbow | 2016-08-02 12:34 |