心とからだのセラピースペース


by まりりん

『不死というあなたの現実』その2

『不死というあなたの現実』についての続きです。


アサンディッドマスターのパーサとアーテンが、ゲイリーに
『奇跡のコース』を学び、実践しなさいと言いに来ているのだから、
当然「コース」からの引用がたくさんされています。


―死は中心的な夢で、そこからすべての幻想が発する。
生命が生まれ、年を取り、活力を失い、最後には死ぬと考えるのは、狂気ではないか? 

この問いかけは前にもしたが、今度はもっと注意深く考える必要がある。

すべてのものが死ぬために生まれるというのは、この世界に定着した変わらぬ信念だ。
これは「自然のあり方」とみなされ、問われることなく、
「自然な」生命の法則として受け入れられている。

循環、変化、不確実性:頼りにならず、安定せず、
ある道筋を通ってあるやり方で満ちたりかけたりするーこのすべてが
「神の意志」とされている。

そして誰も、恵み深い創造者がそのようなことをするだろうかと問わない。―


―死の「現実」は、神の息子が身体であるという信念にしっかりと根を下ろしている。
もし神が身体を作り出したのなら、死は確かに現実だ。

そうであれば、神は愛ではないだろう。―


―神がこの宇宙を創造したという認識では、
「彼」を愛と考えることは不可能だろう。

すべてのものが過ぎ去り、塵と失望と絶望に終わることを運命付けるものが
恐れられずにいるだろうか。

彼はあなた方の小さな生命に糸をつけて握り、
後悔も気遣いもなしにいつでも、今日にでもその糸を断ち切ろうとする。
たとえしばらく待ってくれても、終わりは確実だ。

そのような神を愛するものは、愛を知らない。
なぜなら生命が現実であることを否定しているから。
死が生命の象徴となっている。

その世界はいまや戦場であり、矛盾が支配し、
相反するものが終わりのない戦いを繰り広げている。

死があるところに平和は不可能である。―


―死は神への怖れの象徴である。

その考えの中で彼の愛は覆い隠され、
それが太陽を隠す遮蔽物のように目覚めを妨げている。

その象徴の残酷さは、それが神と共存しうるはずがないことを示すに充分である。

それには破壊の中に「安置される」神の息子のイメージがあり、
その廃墟には彼を待ち構え、彼を壊すことでしばらくは永らえる虫どもがいる。

しかしその虫どももまた確実に破壊されることを運命付けられている。

こうしてすべてのものが死のために生きている。
弱肉強食が自然な「生命の法則」である。

神は狂気で、恐怖だけが現実である。―



「コース」を読み始めた頃は、イエスはどうして、こんなに激しい、きつい表現を、
くどくどとするのだろう、大げさな!と思っていました。

イエスが言わんとすることがすこーし分かり始めてきた今は、
「おっしゃるとおりです!!」と思います。


今日はこの辺で。
また続きを書きます。
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by d_rainbow | 2015-12-09 21:09 | 『奇跡のコース』